鶴見線の高架に残る廃駅はどこにある?
JR東日本の鶴見線には、営業運転中の線路脇に今も残る幻のホームがあります。まず、その場所は、鶴見駅と国道駅の間です。東海道本線や京急本線を斜めにまたぐ頑丈な高架橋の上に残されています。
この遺構は、かつて存在した本山駅(開業時は本山停留場)のホームです。長さは目測で電車およそ3両分ほどあります。加えて、コンクリート製のホーム躯体が、線路脇にそのまま残されています。なお、現在は新型車両のE131系1000番台がその横を駆け抜けています。
鶴見線の本山駅が廃止された理由と歴史
本山駅は、私鉄の鶴見臨港鉄道時代の1930(昭和5)年に開設されました。特に、近くの曹洞宗大本山である總持寺への参拝客に向けた駅でした。あわせて、周辺の行楽客の利便も図られていました。
しかし、太平洋戦争が始まると状況は一変します。戦時体制下の1942(昭和17)年12月に、不要不急の駅として廃止されました。さらに、翌年の1943(昭和18)年7月には路線自体が国有化されます。これにより、国鉄の鶴見線となりました。このように戦争の波に翻弄され、駅はわずか12年ほどで役目を終えました。
鶴見線の車窓や地上から遺構は見学できる?
廃止から80年以上が経った今も、ホームが残るのには理由があります。下を通る東海道本線などをまたぐ重要構造物だったためです。そのため、駅の設備だけを取り壊す工事が困難でした。
こうして、本山駅の遺構は今でも見ることができます。例えば、鶴見線の車窓からはすぐ目の前にホームの土台が確認できます。また、直下を通る道路や歩道橋からも見上げることが可能です。特に、レトロ建築や廃線跡をめぐる愛好家にとっても、有名な名所となっています。
鶴見線が持つ独特な立地と路線の歴史
鶴見線の歴史は、臨海部の埋立地開発から始まりました。浅野セメント創業者の浅野総一郎らが事業を進めました。次に、1926(大正15)年に貨物線として開業しました。以来、京浜工業地帯の発展を支えてきた路線です。
路線内には、昭和レトロの風情を色濃く残す国道駅があります。さらに、一般客が改札の外へ出られない海芝浦駅など、個性的な駅が連続します。また、安善駅や浅野駅は、創業者たちに由来する駅名です。このように、こうした歴史を伝える駅名が今も残る点も大きな特徴です。
あいえすの見解
鶴見線沿線で一番魅力を感じる駅は、やはり国道駅です。国道15号線と交差する高架駅となっています。また、昔からのホームから国道に出るまでの空間が魅力的です。その道中には、レトロ感がぎっしりと詰まっています。







