敦賀に日本海側初の鉄道が走った理由
敦賀は古代から栄えた天然の良港でした。江戸時代には北前船が寄港し、日本海の海運拠点として重要な役割を果たします。さらに明治政府は最初期の計画を掲げました。東京や関西だけでなく、琵琶湖と敦賀を結ぶ路線が含まれます。
その後、1882年(明治15年)に長浜と敦賀(金ヶ崎)の間で鉄道が開業します。これは日本海側で初めての開通であり、全国でも5番目の早さでした。つまり船で運ばれた貨物を、敦賀港から列車へ積み替えます。こうして内陸へ運ぶ物流網が整えられたのです。
敦賀の難所越えと機関区の発展
港町として栄えた一方、内陸へ向かう路線には険しい山々が立ちふさがっていました。特に敦賀から今庄へ抜ける区間は急勾配が連続する難所です。そのため列車を後押しする補助機関車の連結が必要でした。また雪をかき分ける除雪作業も欠かせませんでした。
こうした過酷な山越えに備えて、敦賀には大規模な機関区や検修設備が配置されます。さらに大勢の乗務員や技術者が集まり、街全体が鉄道関係者で活気づきました。このように機関車の基地となった歴史があります。これが敦賀を「鉄道のまち」へと押し上げた要因です。
敦賀に残る日本最古の小刀根トンネル
当時の過酷な鉄道建設の歴史は、市内各地に遺構として今も残っています。例えば滋賀県境近くに小刀根(ことね)トンネルがあります。この遺構は1881年(明治14年)に完成しました。当時の姿をとどめる構造物として、現存する日本最古の鉄道トンネルといわれています。
なお、このトンネルは断面がとても狭い設計でした。そのため蒸気機関車D51形(デゴイチ)にも影響を与えます。ここを通過できるように車両限界が工夫された逸話も残ります。敦賀の険しい山道は、日本の車両技術の進化にも深く関わっていました。
敦賀駅前に残る鉄輪町と現在の姿
鉄道との深い結びつきは、敦賀駅周辺の町名にも刻まれています。現在の敦賀駅前には「鉄輪町(かなわちょう)」という住所が現存します。鉄道の車輪にちなんで名付けられた地名です。街の誇りとして現在まで受け継がれてきました。
現代の敦賀駅は、北陸新幹線の始発・終着駅です。関西や中京方面への乗り換えを担っています。また1912年(明治45年)にはヨーロッパ直通の国際連絡列車も走りました。かつての熱気は、今も交通の要衝として脈々と息づいています。







